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明日は、四年生として最後の授業だ。そのことに気づいて、感じているのは、不安が混ざっている悲しみだ。なぜなら、タフツで過ごした時間が今までの人生の中の一番良い時間で、これから何をするか、それを誰とするかがまだ決まっていないからだ。

もちろん、親友と別れるときは、何よりも悲しいと思う。けれども、月曜日の後まだシニアウィークという四年生のための楽しい活動が予定されている週間がまだ残っているわけだから、その悲しい感情はともかく、本当の最後の大学生としての時間をどう過ごしたいかを考える。将来から振り返ると、この週間を悲しく思っても、楽しいことも思い出したい。そのため、タフツでまだやっていないが卒業する前したいことをここで書く:

  • ジャンボの像に登って、写真を取ること:像が極めて高いから少し怖いが、タフツのマスコットだから、そういう写真は良い思い出になるかもしれないと思うからだ。
  • 大砲を塗ることだ:恥ずかしいことに、大砲を一回しか塗ったことがないし、その塗ったのは一年生のときだったから、もう一回四年生として塗ったら良いと思うからだ。
  • なるべくたくさんの時間をクーアドで友達と過ごすこと:タフツの思い出の中、二年生としてウエストという寮に住んでいた友達と晴れの日にスラックラインをしたり、クーブというゲームをしたり、読んだりしたことが一番良くて、それを再現したいからだ。
  • 家族を感謝すること:大好きな家族のおかげで、こんなに良い大学に来られ、こんなに良い時間が過ごせたので、卒業式のため訪ねにきたら、本当にありがとうを言わなければならないのだ。
  • 先生に感謝すること:日本語学科の先生のおかげで、日本語が読めるようになって、今年100ページの小説を英語に翻訳できたからだ。一年生として、もう日本や日本語についてたくさん知っていたと思ったけど、香川先生、森田先生、小泉先生、井上先生に教えてもらったチャンスがあったので、本当に才能を伸ばして、今の私になることが出来た。こころの底から、自分の情熱を認めさせられて、ありがとうございました。

これから残っている時間は少なくても、出来ることとすれば良いことがまだたくさんあると思う。それで、大学の最後の週間の悲しみを我慢して、楽しいことをして、手伝ってもらった人に感謝するつもりだ。

学年の3週間しか残っていないので、悩まなければならないことは、残念ながらたくさんある。宿題などはもちろん、今週は卒業論文の締め切りだ。実は、100ページを翻訳できたから、嬉しくて、誇りに思うが、イントロなどまだ心配のところがいくつかある。そして、やっと終わったかと思うと、論文を提出する次の週は経済と数学の期末試験を同日受けることになっている。本当に、勉強する時間はあるかどうかを気にする。

宿題だけではなく、生活に大切な選択でも悩んでいる。というのは、卒業してから何をしようか迷っているので、住宅もルームメートも仕事も全然分からない。そのため、今年買った机やベッドなど処理しなければならないが、売ったら寝るところはどうするか分からない。

つまり、今すごくストレスが高まっている。すべてがうまく行くように祈っているが、宿題を終えるまで、息を吸うことはあまりない。これからも頑張るぞ〜

今週の週末は、7歳の頃から仲よくしている友達の結婚披露宴に行った。やはり、長年知っている友達の中で初めて結婚している人であるだけに、彼女のことに ついて奇妙な気持ちがする。けれども、その上、他の二人の友達との遅れを取り戻す機会があって、高校を卒業してからどの風に皆が変えてきたのかが分かるよ うになったので、極めて面白い経験だった。

始めに、披露宴がオーペンバーだったので、酔っぱらって、感情的になってしまった。実は、大学に入ってから、あまり出身の友達と連絡を取っていないが、皆 で集まって、飲んだり、笑ったりすると、すごく懐かしくなって、高校の過ごした良い時間が思い出された。結婚している人を含めて、その三人が一番私のこと を知っていて、楽しい経験もつらい経験もたくさん共有した。けれども、今は、私の人生にそのロールを果たしているのは、もうその三人ではなく、大学であった友達なので、四年にわたって変わってきた高校時代の友人との関係を考えて、泣くしかなかった。

すなわち、人生には、友達が現れては消えるが、人生がその友達によってどのような影響を受けるのかが一番大切だと思うようになった。それで、関係がもう前と同じではなくても、その三人とすごく良い高校時代の思い出を作られ、四人で経験したことのおかげで現在の私になってきたので、いつまでも私たちの友情を感謝している訳だ。これから、三つの結婚披露宴が残って、すべてが土曜日にあったものみたいに楽しくて、美しいことを祈る。

今週の起伏

このブログを初めて書いた時、四年生としてのアドベンチャーをテーマにすることにした。それで、今回は四年生の良い点と悪い点を実証する今週の経験について書く。その経験は何かと言うと、同級生と楽しめたシーニアパブナイトと一人で苦しんだ就職活動だ。

まずは、良い経験のパブナイトの楽しさを説明する。パブナイトというのは、一学期二回四年生の皆が一緒に決めたパブに行って、そこで飲んだり、しゃべったり、踊ったりすることを指摘する。やはり、普通のパーティーであるだけに、楽しいと言われるが、その上に、一年生の時に古くからの友人も、今年初めて会った友達も一つの場所に集まっているので、タフツでの学生時代を思い出させる懐かしい経験である。例えば、今週のパブナイトの私の経験では、二つのハイライトがあって、一つは行く前に200パウンズの新しい友達を酔っぱらっておんぶすること、もう一つは仲たがいしてしまった過去の親友と踊ることだった。今その経験を考えると、もう微苦笑するほかはない。なぜかと言うと、卒業してからほとんどの友達と遊ぶことはなくなるが、タフツに行かなかったとしたら、その友達に会わなかったので、感謝しているからだ。つまり、複雑な感情があるわけだ。

次は、就職活動も四年生の良い点と悪い点を今週はっきりさせた。それは、勤めたかった仕事を雇ってくれなかったものの、予期しなかった機会が見つかったからだ。正直に言うと、来年何の仕事をするのかが全然分からないことは、何よりも怖い状態である。けれども、今週気付いたのは、何の仕事があるとしても、愛する家族や友達に温かく支えられていることだ。その支援を、今週の失敗と成功を両親に教えた時に実感させた。

すなわち、四年生としてのアドベンチャーは全て良いという訳ではなく、全て悪いという訳でもない。むしろ、これからの経験は様々で、感情の起伏を感じさせられただけでいつまでも忘れない。

今まで日本語のクラスで話したことの中で、ニュース1の鹿児島県での鳥インフルエンザのための殺処分に強烈な印象を受けた。なぜなら、私は菜食主義者なだけではなく、食品安全に関する授業を先学期とったばかりなので、その殺処分の道徳的、そして社会的な意味が目立ったからだ。

まず、道徳的な視点から言うと、鶏8600羽が一気に殺されたという見出しを見ただけで、私は違和感を少し覚えた。なぜかと言うと、私が菜食主義者になった理由は、動物の権利が大切だと思い、アメリカで食肉用の動物がどのように扱われているか、どのように殺されているのかに反対することだったからだ。それで、新聞記事の内容を詳しく読んで、その8600羽の中で7羽しかインフルエンザにかかっていなかったことに気付いたら、違和感より怒りを感じてきた。明らかに、インフルエンザが早速拡大するし、全ての鶏の遺伝子検査をして、病気である鶏だけ隔離するには時間もお金もかかるので、全ての鶏を殺処分する方が簡単のようだった。しかし、時間とお金はともかく、病気ではない鶏が無駄に殺されたのではないだろうか。それは本当に残念だと思う。

そして、社会的な視点から言うと、同新聞記事が食品安全の危険な状況も指摘する。というのは、食品産業には、ある問題が生じる前ではなく、その問題が悪化して、PR失敗になってから解決のために努力し始めるのが普通だからだ。例えば、鹿児島県の殺処分の場合は、7羽の鶏がインフルエンザにかかったのは、そんなにたくさんの鶏が極めて狭い場所に押し込まれているからかもしれない。けれども、飼育状況を改善して、インフルエンザの拡大などの問題を防止する代わりに、病気である鶏も病気ではない鶏も一気に殺すことになった。その結果、インフルエンザだけではなく、サルモネラ属などの他の問題をどのぐらい悪化させてしまっているのだろう。そして、それはどのぐらい消費者に影響を与えるのだろう。

結局、鹿児島県での殺処分は道徳的な問題と社会的な問題の二つを示すと思う。それは、全ての鶏を殺すことは必要ではないからだけではなく、鳥インフルエンザの拡大という根本問題を解決しないからだ。そのため、食肉用の動物の命の価値を認めて、食品産業を改善する動機を強調するべきだと思う。

「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」松尾芭蕉

私もセミのように大きい声を出して、静寂を破りながら、自分の存在を皆に知らせたくなってきた。それは、タフツ大学での生活が終えられてしまう私は何よりも最後の学期を充実したいからだ。

タフツに来て勉強してきた様々なことの中で、一番印象を受けたのは井上先生の日本文化の授業の内容である。その授業で、「空蝉の世」という概念を初めて学んで、生活の無常と関係あるものだと井上先生に意味を簡単に説明していただいた。けれども、最近まで、その概念を十分に理解しているとは言えなかったのだ。

四年生として、タフツで作った貴重な経験を思い出して、微笑む他はない。ここで踊ったり、歌ったり、笑ったり、泣いたりしたことがある。一年生の時、一緒に 六畳間に住んでいて、ルームメートと親友になり、まるで自分の家のような所を作らせた。その翌年に、恋愛を初めて経験して、真っ逆さまに落ちるという二年 生の生活があった。そして、心が打ち砕かれたのは、親友と初恋の人と別れて、遠い異国の日本に住んでいた三年生の時だった。しかし、新しい友達に出会った り、すばらしいホストファミリーと住んでいたので、かけがえのない喜びを感じてタフツに帰って来られたのだ。

今年は、 大学での経験が、一巡して、結局始めに戻ったような気がする。後もうすぐ、私も現在の形から脱皮して、社会人になるのは避けられない運命なのだ。しかし、 その時まで、大学生のように、セミのように、出来る限りの大きい声で踊ったり、歌ったり、笑ったり、泣いたりする生活をし続ける。

それで、私の四年生としてのアドベンチャーに関するブログへようこそ。これから、よろしく。